レディースジャケット、製作途中。袖未完。

Profile

ビスポークスーツ|レディース専門|大阪|Road

 

紳士服製造一級技能士です。

 

大阪府在住

紳士服オーダーの世界で裏方として、

長年多くの方々のスーツの仕立てに関わらせて頂きました。

 

伝統ある技術を新しい形でレディースに落とし込みました。

 

新しい世界観のご提示をさせて頂きます。

 

 

 

<自己紹介>

大阪モード学園卒

紳士既製服工場、メンズオーダーメイドの会社で縫製

レディースアパレルでパタンナー

個人事業主でビスポークスーツ(メンズ)の縫製

 

 

※長文になりますが以下の経緯でRoadを始めるに至りました。

 

 

 

昔、専門学校に入って、ずーっと目指していたのは

「背広のメンズデザイナー」です。

それ以外眼中になく希望を抱いて通っていたのですが、4年目に就職相談の時先生に言われたことは、

 

「あれやりたければ一年間デパートの売り場に立つ」

「それから企画に入る」

「それが出来るのは大卒男子」

「女はアカン」

「女に背広は無理」

 

と言われました。

ウソみたいですがあの時代はそんな時代でした。

 

あの時程、中卒、専門学校卒の自分を恥ずかしく思ったことはありません。

 

何か特定のポジションを目指すのではなく、「これ大事」

と思うことをやれる人間になろうと決意を固めました。

 

 

 

「背広を知るには縫製知らないと・・・」と思い、既製服背広の縫製工場の流れの縫製をし、その後テーラー業界に入ってオーダーメイドのパンツとベストの縫製をしていましたが続けられなくなります。

 

幼少期からの持病の頚部脊柱管狭窄症で背広を持つのも、アイロンを持つのも苦痛になりました。

 

首の脊柱管という神経の通り道の直径が生まれつき細いタイプで、

神経が圧迫され

首~肩甲骨~腕が重く、手に運動障害、知覚障害があります。

 

当時、背広の世界で女性と言えばパンツ、ベスト縫いぐらいで、

背広売る人=男性

背広のパターン(型紙)作る人=男性というのが当たり前の世界で自分のポジションを失くしました。

 

「食べていかれへん・・・」

「専門学校出たし、縫製分かるから、レディースのパタンナー(型紙作る人)やったらマーケットが大きいし、職がありそうやな・・・」

という理由でレディースアパレルのパタンナーを目指します。

 

モード学園を出て8年ぐらい?経っていたので、自分の経歴で雇ってもらえるところはなく何十社と落ち、

 

最後ハローワークの人に

「レディース経験ないんですけど、ちょっとはあるって言ってもらえませんか?」

「面接までどうしても行きたいんです」と頼み込むと窓口の人は頷き、自分の言うことに従ってくださいました。

 

レディースアパレルの面接ではウソを言えないので、社長に

「縫製分かります」

「グレーディング(型紙の拡大縮小)できます」

「でもシルエット作れないので夜学校行って勉強します」

と言って何故か採用され、レディースパタンナーとしての日々が、その後恐ろしく続きます。

 

「3年でテーラー業界に戻る」の想いでしたが、戻るチャンスなどなく、10年以上レディースアパレルでパタンナーをしていました。

 

 

 

その後テーラーを育成する学校があり入学します。

まわりの人達は「テーラー」を目指している人達ばかりでしたが、自分は「個人事業主」を目指します。

 

内容あることやって、自立した人になりたいという考えと、

純粋に背広が好きなだけです。

 

ところが何を商売にしたいか思いつかず「自分は何屋さん?」の自問が続き、

 

テーラー・・・あんまり

カッター(型紙する人)・・・わくわくしない

縫製・・・持病あるし絶対無理

 

と思っていたら、とあるテーラーさんから縫製の依頼がきます。

(しかもスーツ)

(しかも超ムズイ、細番手の高級生地)

 

「ジャケットって、学校で習っただけで、仕事でやってないで・・・」

「修行期間がないから、こういうご依頼は1回で終わるよな・・・」

と思っていたら、そのご依頼が不思議と続きました。

 

経験がないため最初は徹夜続きです。

このままでは仕事を続けられません。

頚椎の持病を抱えながらは「無謀」なので身体を鍛えないと・・・と、

 

サッカーの長友佑都さんの本を参考に、筋トレ、ストレッチをマブダチにして仕事をこなす日々が続きますが、数年後やはり体力の限界をむかえました。

 

美容師さん、料理人さん、建築の人など手を動かす仕事の人達は「綺麗、早い」を常に意識されています。

 

自分はスピードが出ません。

背広を作るって・・・縫製って・・・デリケートなスポーツです。

 

ここで背広の縫製を専門とする職人終わりとなりました。

どんな環境でもやり切ってこられたことは奇跡でしかなく、感謝です。

 

 

 

「でもその後、何しよう?」と具体的なプランが浮かばなかったのですが、ある時、服に限らず、その人が得意とする絵画、書、風景画像、ハンドメイド商品などをSNSに挙げておられるのを見て、そういう人達を羨ましく思いました。

 

自分もやってみたいと思いましたが、背広を縫って納品するを繰り返してきた自分にはその「ブツ」がありません。

 

「長い時間をかけてきたものこそ武器」だと思い、経験に基づいた技術で

商品開発にいそしみSNS投稿を始めました。

 

 

背広の世界では

「海外の○○にいた」

「有名な老舗テーラーの○○で何年やっていた」

「○○先生のもとでやっていた」という経歴が華になる傾向があるのですが、自分にはなにもありません。

 

学校で習ったものを仕事で使い倒してきた、完全なる「野良」(のら)です。

 

幼少の頃から手はポンコツなのですが、それを補うように(自分で言うのもなんですが)ロジカルな面もあるようです。

 

こんな自分が皆さまにお約束できることは、

 

「着る人の価値を高めるお手伝いをすること」の1点に付きます。

時の試練に耐えられる「永続的バリュースーツ」を生み出します。

 

どうぞ宜しくお願い致します。

 

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時の試練に耐えられる「永続的バリュースーツ」

サンプルの試着可能です。(サイズ38,40)

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